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非常識な科学への招待-『神に迫るサイエンス』 監修 瀬名秀明


非常識な科学への招待状
 たとえ話。本を一冊手に取ったとしよう。著者は知らない。
ページをパラパラとめくると、共著のようだ。中には図やら
絵やら写真やらが結構多い。

 「ふーん。」と思って、共同著者のうち、最後の人間の章
をちょっと読んでみる。曰く、臨死体験と宇宙人による誘拐
に関する本を立て続けに読んだ。両者は似ているところが結
構多く、大変興味深い・・・。

 (トンデモ本かよ!)

 他にもキーワードを抜き出すと、「未来視」「人類の進化」
「幽体離脱」「至高の自己」etc、etc。全くけしからん。こん
な非科学的な本で私たちの貴重な時間を盗むなんて!いっ
たい誰がこんなことをするんだ!あなたは怒って本を閉じ、
「犯人」の名前を確認する。

 監修、瀬名秀明―――――――筋金入りの、科学者だ。

従来の科学の領域?そんなものはクソ食らえ!科学で「存在」や「認識」や「心」や「神」や「美」を扱えないのなら、そんな科学はゴミ箱へいってしまえ!
 ―――佐倉統(本書内「人工生命」の章より)

 本書はいわゆる科学本である。監修が瀬名秀明氏で、
共同著者の方々も一線で活躍する科学者ばかり。ただし、
テーマは小難しい数式の世界ではない。位置づけとして
は監修の瀬名氏の『Brain Valley』の解説本になっている。

 『Brain Valley』は上下あわせると厚さが広辞苑に迫る
んじゃないかという大作だが、科学濃度の濃さは半端では
ない。それが苦になる人と、興味を持つきっかけになる人
両方いると思うが、本書は後者に向けて書かれている。

 例えば、「神」の概念が何度も何度も出てくるが、信じる
信じないを別として、人間のこころの中に存在する「神様」
の概念っていったい何なのか?コレを例えば霊長類学や
人工生命の立場から検証しているのだ。


何故立花はこの鉱脈を放棄してしまったのだろう。
 ―――瀬名秀明(本書内「臨死体験」の章より)

 臨死体験を信じない、というのは簡単だ。それでも、あ
なたが扉をピシャっと閉めてしまうその外で、確かに経験
する人が存在している。そこに冷静な目をもって踏み込ん
でいく様はスリリングで好奇心をそそられる。

 体験を認知している以上、その人の脳内で何かが起こっ
ているハズ。それは、いったいなんだ?いままでの信じる、
信じないの2次元の世界を3次元の世界に広げる試み。
それも一流科学者の手によってなされた良書である。





 (ちなみに、「聖殺人者 イグナシオ」を以前紹介したとき
 に引用した「神様ウィルス説」はこの本の人工生命の章
 に載っている。というか再読して思い出したw)

初写真アップ☆

↑今まで紹介した本たち@タンスの上



昨日いろんな書評ブログ見ようって思って、

ランキングの上位からずーと見てったんですよ。

そしたら160、70位を境目にタイトルだけのブログになる。

総合で5400位くらいかな?

アメブロって全部で10000サイトとちょっとあるんですよね?

つーことは、4割くらいが未使用。

それでも面白いのは、

「タイトルのみ」ブログもランク変動してるんですよ。

「UP!」とか言ってw

頑張れ、タイトルのみブロガー。

まずは「書評つながり」に参加しましょうよ。

あ、因みに俺は参加予定。

くれるって言うんだから、のっときゃいいんですよ。

一ヶ月のうち、一日だけ潔癖を忘れる。

んで、残りの30日なり29日は自分の好きなようにやればいい。



(*注

今回のタイトルは、jugyoさんのブログ、「ごみ箱」からアイディアをパクリました。

賞金を取った暁には著作権料をお支払いします。

(あと、問題があったら削除します)

介護を語る、狂人伝道師-『介護入門』モブノリオ


「断じて言おう。決して、スカしたライターがシャレたつもりで書く
ルポタージュの世界ではない。「真夜中の動物園」とかさ。よっ、シャレてるぅ。」

 ―――石丸元章(石丸元章『スピード』より)

 テレビでいわゆる“評論家”と呼ばれる人達が、例えば
ヤマンバギャルを評しているのを想像してほしい。彼は最
新の学説と、分かりやすい具体例を交えながら、したり顔
で、断定口調で話す。はっきり言って、腹立たしい。それ
でいてちょっと滑稽な感じがするのは何故だろう?

 答えは簡単。彼は若者ではないからだ。語弊があるなら
言い直そう。彼はヤマンバギャルと直接、プライベートで
話したこともないだろうし、彼女らの遊び場でハメをはず
しまくった事もないはずだ。つまり、ブラウン管越しや、人
づてに情報を得ているだけで、実際は彼女らが生きている
場所に対して、全くの無知だ。

 彼からにじみ出るのは、そういった類の滑稽さなのだ。
「多分こんな感じじゃないかなぁ?」という必死な推測。
そこから導き出される見当違いの結論は、知らない人間
だけを頷かせる。同様の過ちをしばしば大衆ジャーナリズム
は犯すし、その度に現場に生きる人間をイラつかせてきた。


「同情するだけでウンコがかたづくんなら、私みんなの50倍くらい同情しちゃうわよ。」
 ―――みどり(村上春樹『ノルウェイの森』より)

 今日紹介する『介護入門』はそうしたイラつきを、狂人
(失礼。ヤク中って言うべきかな?)の独白という異常な
フィルターで濃縮し、ぶちまけた傑作だ。テーマは介護。
善良な 親戚や週刊誌の常識を向こうに回し、介護の
現場とはなにか?そこを生き抜く術は何かを彼は語る。

 なにせ独白してくる相手が相手だから、最初の3ページ
くらいは読むのがちょっとつらいかも知れない。そういっ
た向きは、石丸元章の『スピード』を先に読むことをオス
スメする。ハシシどころか覚せい剤でぶっ飛んだ人間の文
章を読めば、免疫がつくはずだ。

 ただし、その口調を除けば彼の言うことは、誰もがそう
思った事はあるけど、世間体で決して口にはできない、ある
意味で真っ当なことばかりだ。例えば虐待を受けて育った
子供には「親に復讐し、お前の子供は犠牲にするな」とアド
バイスする。

 また、介助ヘルパーには疑いもせず感謝してしまいがち
だが、狂人たる彼は「プロに徹しないで仕事半分なヤツだ
っている。まずはヤツラを監視しろ」と警鐘を鳴らす。


<<盲信>>じゃないぜ、<<狂信>>だ
 ―――本文より

 “今日”の話からいろいろなエピソードを交えつつ徐々
に過去にさかのぼるこのストーリーは、決してお涙頂戴の
話ではない。涙や同情ではなく、疲労と執念で著者が獲得
した介護に必要なこころ構えの指南書だ。

 それでも、おばぁちゃんに赤ちゃん言葉で話しかけ、彼女
が泣いたことをいみじくも自慢する親族を尻目に、どう笑わ
せるかに苦心し、寝る間も惜しんで尽くすが時には叱るこ
とも必要だと説く「俺」には胸が熱くさせられる。きっと
「俺」は嫌がるだろうが、その姿が感動的なのは間違いな
いのだ。

 同情を捨て、覚悟を持て。介護に必要なのは執念と体力。
親族の血筋ではなく、本当に相手を思いやる愛だ。「俺」
の言葉を聴いて、リアルな介護現場が分かるだろう。

 さてと、もうテレビは消そうか?

「今日も病院に銃弾の雨が降る」 鈴木崇生

効率と機転の美学―――戦場医療

 「ジャケ買い」という言葉をご存知だろうか?レコード
(12インチね)を買うような連中の間で使われる表現で、
視聴もせずに、ジャケットが気に入ったとか、ジャケット
が凄いからとか、中身はともかくジャケットだけで購入を
決めてしまうことを指す。

 今日本屋に行って危うくこのジャケ買いをやらかしそう
になった。一冊は『百年の誤読』。年代ごとの話題本を批
評しなおすという趣旨の本だが、カバーが麦焼酎「百年の
孤独」のラベルにそっくり。多分、酒好きが関わってるん
だろうが、面白すぎてずるい。

 もう一冊は『人は食べなくても生きていける』。僕の地元
の本屋にはトンデモ本コーナーというか、とにかく訳の分か
らないサブカル本のコーナーがあって、そこで見つけた。見
つけた場所も場所だが、帯はさらに凄い。裸のおっさんが仁
王立ち。しかも、局部は葉っぱで隠している!おっさん、食
べるはとにかく、服は着ないと人間として生きられないよ。

「よくこれで事故が起きなかったな」
「いや、よく死んだ」

 ―――鈴木氏の同僚の医師
 
 幸い、上記2冊は買わずに踏みとどまったが、時には買っ
てしまう事もある。そんな中の一冊が本書、『今日も病院に
銃弾の雨が降る』だ。中身も見ずにタイトルだけで買ったわ
けだけど、予想外に面白かった。

 本書の著者、鈴木崇生氏は外科医だ。日本の医局でもめ、
仕事を失ったのをきっかけに、彼は海外に職を求めて旅立つ
事を決意する。最初に行ったのがイラン・イラク戦争下の
イラク、次に紛争中のアフガニスタン。本書は、そうした
海外滞在の体験記だ。

 海外滞在とはいうものの、戦時の国に滞在するんだから、
事は尋常ではない。例えば本書には手術中、病院の近くに
ミサイルが着弾し、手術室の扉が爆風で開いたエピソード
が紹介されていたりする。

「若い外科医よ。一人前になりたかったら戦場に行きたまえ」
 ―――本文より

 本書を通じて人間のたくましさというか、リアリティを
感じることができる。日本であれば必要な設備なしでの手
術など信じられないが、戦場(鈴木氏は従軍医師ではない、
念のため。)でそんなことは言ってられない。レントゲン
なしでも、電球が一個しかなかろうがやるしかない。

 また、物がない状況というのは人を蝕むもので、現地の
ナース達のエピソードも驚くものが多い。麻酔のやり方を
頑として聞かず、効きの悪い患者には筋弛緩剤を投与する
だけ(当然、痛かろうが“痛い”顔は作れなくなる)。そ
んなむちゃくちゃなエピソードがほとんどだ。

 戦争って何?NGOは何やっててどんなヤツラ?この本を
読めば雰囲気が分かるだろう。

地下から噴出した黒い霧の正体 -「アンダーグラウンド」 村上春樹

地下から噴出した黒い霧の正体

 村上龍氏の著作活動には賛否両論ある。批判されるのは
主に社会、経済関係の本かな。実際、「作家の値うち」という
本では見事に酷評されていた。「小説家たるものが何やっ
てんだ」と。意見は人それぞれだけど、小説を必要以上に
神聖視するのは好きじゃないな。

 ここまでで分かるとおり、僕は龍氏の最近の活動が好きだ。
「最近の活動」がなんのことやら分からない人はコチラを参照。
少なからず共感できると思う。リンク先でも触れられている
けど、新聞は最も不親切なメディアだからだ。

 「ナルホド、ひどいもんだ」と言ってはみるものの、結局
のトコロ何がどうなっているか良く分からない。バブルの時
もそう。住専の時もそう。ひどいのは分かった。悪いヤツが
いそうなのも分かった。でも、結局、根本的なことを新聞は
伝えてくれない。

「そもそも何が原因で、何が実際に起こり、そして、何がなされるべきか?」

1995年3月20日の朝に、東京の地下で
本当に何が起こったのか?

 ―――筆者あとがきより

 日本を代表するもう一人の村上、村上春樹氏に1995年
去来したのもこの想いだろう。日本を襲った最悪のテロ、地下
鉄サリン事件。メディアは狂ったように最新情報を報道し、犠
牲者の数と、テロリスト=悪をけたたましく叫ぶ。

 そして、彼は決意する。何が悪い、どれくらいひどいではなく、
地下鉄テロとは結局なんだったか?コレを追求しよう。著者初と
なるノンフィクション、700ページ超の本書が誕生に向けて動
き出した瞬間だった。

 本書の大部分を構成するのは地下鉄テロの被害者の証言だ。
彼らの名前、人となりが紹介された後、事件に関するインタビ
ュー。それが淡々と並べられている。作者の主観や、感情は一切
そこに存在しない。

あの人は確かサリンで濡れた上を歩いてきたと思いますね。
 ―――管崎広重氏

 被害者達に過大な同情なんて示さず、加害者たちに無用な怒り
を振りまわさない。事実を知るのにこれほど有効な手法もない。
おかげで、このテロを知り、考える貴重な機会が得られる。

 読後、僕を襲ったのは恐怖感だった。単純に何が悪い、ひ
どいという「答え」をこの本は提示してなんてくれない。だか
ら考え続けないといけないのだ。何故こんなことが?目的は?
考えるうちに思考は深い溝にはまってゆき、結局、恐怖だけが
頭の中に残った。

 その日のうちに消えてゆくような情報はキャッチアップの為に
存在する。一方、こういう類の情報は振り返る為に重要だ。